会社の解散のこと、心配してるといけないから

 会社(汲hDシステムズ)を解散した理由・・・・
それは、僕が廻りの人にカッコよく思われたいがために
名前を残そうとしていただけの会社だという事に気がついたから
”俺にもこれくらいは出来るんだぞ”って威張りたかった
見栄だけ、自己顕示欲を満足させるための会社の名前だけだから

失敗したからとか、僕のドジ(笑)とかじゃないからね
心配はいりません。

最初のきっかけは、
僕が自分でこんなものがあったら良いのになぁ〜て思ったものを
友達に頼み込んで、一緒に作ってもらっただけでした。
その友達とは、いつか話したアメリカ横断旅行をした彼です。
完成したものを使ってみて、思った以上に性能が良くて
これはひょっとして?売れるんじゃないかと思いました。

そして決心しました。やってみなきゃ分らない!

製品を作って売るにはお金が必要です。

少なくても100万前後
資金援助や一緒にやってくれそうな知り合い
仲のいい友達、親友と思っていた仲間に声をかけました。
しかし、みんなあいてにしてくれませんでした。
「そんなもの売れるかどうか分らんのに」って
お金が返ってこないかもしれないんなら協力は出来ないって
親友だと思っていた友達までも、誰ひとりとして・・・

この時ほんとうに形だけの友達が多いことに落胆しました
みんないざとなったら冷たい・・・
お金よりこちらのほうがショックでした。

結局、リスクを覚悟で賛同してくれた知り合いと二人だけで
始めることにしました。

手作りの製品、僕が考えたキャッチコピー
雑誌社へ広告依頼、包装の箱から
ありとあらゆるものがはじめての経験で
聞いたことのない広告用語など戸惑うことばかり
次から次へと問題が生まれ、解決もしていきました。

廻りの予想を裏切り、思った以上に売れました。
すぐに最初の資金は回収できました。
それより、今度は製品をつくるのが間に合わなくて
アルバイト探しに追われました。

そういう状況をみて、最初に資金援助を断っていた友達や
知り合いが仲間に入れてくれと言ってきました。
もちろん そんなに虫のいい話はありません。
信じられない・・・

その後、2年くらい税金も払わずに
(↑絶対にナイショにしておいて下さいよぉ)
JAに勤めながら、サイドビジネスとしてやっていました。
お小遣い程度なんですけど・・・(笑)
それでも、もしもの重加算税が心配になり、
会社組織にしました。

しばらくは順調で、そのあと後継の製品も手がけました
こちらも好調でした。(←また見栄をはってェf^^;)

そのうち時代は流れて需要がなくなったので
休業という形で放置していました。
たいして儲からなかったけど、愉しかった。

休業状態のままで解散せずにいたのは
最初に書いたように、ただの見栄だけです。
「会社を作ったこともあるんだぞ」と自慢したかっただけ
今思うと恥ずかしい話です。

というわけで、心配はまったくいりません。

   
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